はじめに

漢方薬は2000年以上の歴史による淘汰を受けてきた薬であるために有効性と安全性の高いものが生き残り、多くの漢方薬が妊婦、胎児に対して比較的安全と考えられており、動物実験でも明らかな催奇形性のある生薬の報告はありません。

中国は漢の時代(約2000年前)の『金匱要略(きんきようりゃく)』という漢方医学の原典は25編のうち3編を婦人妊娠病、婦人産後病、婦人雑病として婦人病にあてており、唐の時代の『備急千金要方(びきゅうせんきんようほう)』では「婦人の治療は男性の10倍難しい」と記され、その理由は妊娠、分娩、性器出血のためと書かれています。そのほかさまざまな文献において妊娠、分娩に関わるトラブルについて言及されています。

最近では産科領域で用いられる漢方薬も他の分野と同じく西洋医学的な裏付け(EBM)が数多くなされつつあり、ご存知のように幅広く用いられています。

漢方医学における妊娠についての考え方

妊娠のことを、漢方医学では「養胎優先」の状態といいます。すなわち母体が赤ちゃんを養うことが優先されるため、

  1. 陰血不足になり口渇、便秘、体熱感、めまいなどが生じます。これは交感神経優位の状態といえます。
  2. 赤ちゃんの発育により 気の巡りが滞り、気滞、気欝を生じます。これは頭痛や頭重感、胸のつまり、精神状態の変化として現れます。
  3. 水分循環が変化するため水滞を生じ、神経過敏、不眠、胸腹部の膨満感や嘔吐などを発現します。
  4. 血虚では貧血となります。
  5. 脾胃虚の状態での胃腸障害になります。
  6. 腎虚、水毒で腰痛、浮腫、耳鳴りが引き起こされます。

最近では産科領域で用いられる漢方薬も他の分野と同じく西洋医学的な裏付け(EBM)が数多くなされつつあり、ご存知のように幅広く用いられています。

  1. 陰血を補い、脾、腎を補います。
  2. 行気祛疾に留意します。
  3. 陰血がさらに少なくなると、内熱を生じ陽盛陰血の状態になるので母体を清熱養血のに保つことが大切です。

を旨とします。また妊娠中に避けなければいけないことに「三禁」があり、「発汗、瀉下、小便の利は禁ず。」とあり注意します。

  1. 過度の発汗:陽気を傷めます。
  2. 瀉下(下痢):陰血を傷めます。
  3. 小便の利(多尿になるほどの飲水):津液を損ないます。

妊娠中の服用に注意する漢方薬

漢方薬には“副作用がなくて安全”というイメージがあり妊娠中のトラブルに好んで使われますが、慎重に用いるべきものもあります。例えば 大黄甘草湯などの便秘薬に含まれる大黄には瀉下作用のため下痢や子宮収縮作用があります。西洋薬のアローゼンやプルゼニドも大黄の主成分であるセンノシド(センナ)から作られています。
乾姜やには利尿作用があり、また風邪の時に用いられる葛根湯に含まれている麻黄は発汗を促す効果があるため、それぞれ先の三禁になり注意が必要です。
意外なところでは健康食品のハトムギは薏苡仁といって胎児を排除する働きがあるといわれています。アロエも蘆薈といって子宮収縮作用があります。妊娠中、服用禁忌の漢方薬は製薬会社が販売しているエキス剤にはありませんが、生薬として漢方薬局で販売されているものもあり、なかには妊娠中絶に用いる薬もあります。

また不妊治療等で桂枝茯苓丸など駆瘀血剤を内服している場合、降剤の作用があるので妊娠がわかり次第中止します。

安胎作用

安胎作用とは漢方医学でしばしば用いられる用語ですが読んで字のごとく“赤ちゃんを安らぐ”すなわち妊娠、分娩合併症の頻度を減らし健康な児を得るということです。『金匱要略(きんきようりゃく)』には「婦人妊娠常に当帰散を服するに宣し之を主る」「妊娠胎を養うは白朮散之を主る」とあり、当帰散(とうきさん)や白朮散の記載があります。実際のエキス剤では当帰芍薬散や芎帰膠艾湯を用います。 特に当帰芍薬散は妊娠時の血液流動性を改善し妊娠高血圧症候群の発生予防効果があるといわれています。また服用持続期間が長いほど安胎効果が高く、前回流早産を起こしたものでも妊娠の継続が確認され、分娩時間の短縮、陣痛軽減がみられ、胎児仮死の発生がなかったとする報告(対象100例の調査)があります。また不妊治療にもよく使われるため継続して服用するケースも多いようです。

不育症(習慣性流産)

不育症とは妊娠しても流産や死産を繰り返し健康な赤ちゃんが授からない状態をいい、特に3回以上流産を繰り返す場合を習慣性流産といいます。妊娠の約10~15%は流産するといわれその約6割が染色体異常によるものですが、何回も流産を繰り返す場合はある種の免疫反応による可能性があります。赤ちゃんの半分はパパ(ご主人)の遺伝子です。ママ(妊婦さん)にとっていってみれば半分は“異物”なわけで通常は拒絶反応が起こり排除されるはずですが、妊娠は特殊な免疫環境にあり妊娠が継続されます。不育症の原因のひとつにこの微妙な免疫環境のバランスがくずれることがあると考えられています。

漢方療法は自己免疫異常、原因不明の不育症が対象となり、用いられる漢方約には当帰芍薬散と柴苓湯があります。特に柴苓湯は免疫異常による反復流産において流産防止に効果をあげています。これは免疫機能調節作用によるものではないかといわれています。 不育症(抗リン脂質抗体症候群などの自己免疫疾患によるもの)の治療は妊娠に備えて継続的に行わなければいけないため、妊娠前からステロイドやアスピリンを服用し続けるのは抵抗があります。その点漢方療法は適しているといえますが、柴苓湯(さいれいとう)による肝機能障害の報告もあり定期的なチェックが必要です。

切迫流産

安胎薬である当帰芍薬散や芎帰膠艾湯が用いられます。下腹部痛を訴える場合は当帰芍薬散を、性器出血がある場合は止血効果のある阿膠と艾葉を含む芎帰膠艾湯を用います。
当帰芍薬散には子宮収縮抑制薬である塩酸リトドリン(ウテメリン)の副作用である頻脈や動悸、ふるえを緩和する作用があり塩酸リトドリンと当帰芍薬散の併用療法が用いられることがあります。また柴胡加竜骨牡蠣湯が有効だとする報告もあります。

妊娠高血圧症候群

妊娠高血圧症候群(妊娠中毒症)は発症機序がいまだに不明な部分も多い疾患ですが、漢方医学では水毒あるいは気血の乱れととらえます。血圧の上昇を「血虚、瘀血の証」とし、浮腫や蛋白尿、尿量の減少を「水毒の証」自覚症状や代謝異常を「気の上衝、気虚、気滞の証」と考えます。 妊娠高血圧症候群の漢方治療は軽症型に限られます。当帰芍薬散は胎盤の血液循環の維持に貢献することが推測され、また腎臓の血流量を増加させ、浮腫、蛋白尿を改善するという報告があります。
柴苓湯や五苓散は浮腫が主体で水毒の病態が存在する場合に効果を発揮しますが、柴苓湯には体重増加の抑制、血液をさらさらにする効果(血小板粘稠度の低下、血小板凝集抑制)蛋白尿の改善があるという報告があります。
また重症の妊娠高血圧症候群は反復発症することがあり、予防的に低用量アスピリン療法を行うことがありますが、当帰芍薬散や柴苓湯にも同様の効果が期待できます。高血圧に対しては七物降下湯や釣藤散などを用いることがあります。

下腿浮腫、むくみ

妊娠高血圧症候群と同様に利水作用のある柴苓湯、五苓散、当帰芍薬散、防已黄耆湯を用います。漢方の利水剤は西洋薬の利尿剤と異なり水分を過剰に排泄しないので脱水状態には至らず、電解質のバランスも崩しません。

つわり、悪阻

正式な医学用語として「東洋医学名」がつけられている数少ない病名のひとつで、漢方医学では「子病、病児、阻病」などと呼ばれ、胃の気が下降せず逆に上へ上がる(胃気上逆)ために起こるとされています。妊婦の体力がないときは気血不足がベースとなり、水毒を引き起こし、臓器が水滞に陥り気の乱れが強くなり発症するといわれています。
病気の本態が胃気上逆と水毒であるため、(一)気を巡らせ(行気)(二)水滞を除き(利水除湿)(三)胃の機能を高める(健胃)ことにあります。 よく用いられる小半夏加茯苓湯は気逆をただして吐き気を鎮める半夏に、体を温め、胃腸の働きを盛んにして吐き気を止める生姜を加えた「小半夏(しょうはんげ)」に利水を行うことにより胃内停水を除く茯苓を加えたものです。
さらに症状が強い場合は厚朴(理気)と抑鬱を発散させる蘇葉を加えた半夏厚朴湯。初期には桂枝湯、胃炎などの器質的変化を伴うものには半夏瀉心湯などを用いることがあります。これらに共通して含まれるのが“ショウガ”、漢方では生姜、乾姜です。海外の研究でもショウガの妊娠悪阻に対する効果は認められています。ショウガ湯やショウガのスライスの蜂蜜漬けなど試してみてください。
しかし妊娠初期(器官形成期)には漢方薬の使用は極力さけることが望ましいと思います。

妊娠中の風邪

妊娠中は陰血虚証であり発汗、瀉下、小便の利は禁ずるといわれます。風邪のときによく処方される葛根湯や麻黄湯には麻黄が含まれています。麻黄に含まれるエフェドリンは喘息や風邪の薬の成分(覚醒剤の原料でもあります!)ですが麻黄には発汗を促す作用があるため長期間の服用は控えたほうがよいでしょう。
香蘇散は気の運行をスムーズにする香附子、理気剤の蘇葉を含み気の発散がなされることにより妊婦の風邪(特に初期)に用います。うっすらと汗をかくような場合は桂枝湯を、熱が上り下がりし胸の不快感を伴うような時には炎症を抑え熱を下げる小柴胡湯、柴胡桂枝湯などの柴胡剤を処方します。咳や鼻汁が出るときは参蘇飲、小青竜湯(麻黄が含まれているので短期間)を、乾いた咳にはのどを潤す麦門冬湯を、のどが痛いときには桔梗湯をお湯で溶かしてガラガラゴックン(うがいをした後そのまま飲む)としてみてください。

便秘

妊娠中は陰血不足になり、便秘をしやすくなります。一般的には駆瘀血剤の桃核承気湯など大黄を含む製剤を処方しますが、妊娠中は大黄を使いたくありません。そこで桂枝加芍薬湯や小健中湯を用います。桂枝加芍薬大黄湯には腸管運動を刺激する主剤の大黄に対してこれを緩和する芍薬が配合されています。頑固な便秘には便を柔らかくする麻子仁丸、潤腸湯を用いますが、それぞれ大黄を含むので頓用で使用します。

妊娠中の貧血

妊娠中の貧血は鉄剤を服用しますが悪心や便秘のため服用がむずかしいことがあります。妊娠中は胃脾虚や気虚に加え貧血(血虚)があるので気血双補剤である、十全大補湯、加味帰脾湯を用います。また妊娠中の貧血は循環血液量が増したために(約1.5倍になります)起こるため漢方医学的には生理的水毒の状態といえるため利水と補血のため「当帰芍薬散」が最適であり、胃脾虚も加わった状態なので人参養栄湯も用いることができます。鉄剤との併用は効果的です。 当帰芍薬散の4週間投与が鉄剤8週間投与と同じ効果があり、かつ悪心などの副作用がゼロであったという報告もあります。

痔疾は骨盤内のうっ血状態である瘀血によりますが、妊娠中は駆瘀血剤を用いないで升麻や当帰を含む乙字湯や「補中益気湯」を使います。

膀胱症状

腎虚や胃脾虚を目標に、当帰芍薬散、猪苓湯、五淋散を用い、尿閉には水滞と補気のため、補中益気湯、五苓散、猪苓湯合四物湯用います。妊婦さんは尿路感染を起こしやすいので適宜、抗生物質を併用します。尿所見が改善しても症状が残る場合には清心蓮子飲が有効です。

腰痛

腰痛は腎虚により起こるので補腎剤の八味地黄丸、牛車腎気丸、六味丸のほか当帰四逆加呉茱萸生姜湯、苓姜朮甘湯などを用います。

筋肉痛、こむらがえり、足がつる

芍薬甘草湯を試してみてください。数分で効果が現れます。芍薬甘草湯は作用が明確で二味からなる方剤であるため、分子レベルで作用機序が解明されています。 甘草の持つ抗炎症作用を温存したまま芍薬の鎮痛作用が増強されることが証明され、ラットの子宮筋の収縮抑制効果も確かめられています。

妊娠掻痒(かゆみ)

妊娠掻痒症は熱証で起こるので、清熱作用のある、温清飲、黄蓮解毒湯などを用います。保湿を心がけ乾燥に注意しましょう。

冷え性

冷え性には補温補血作用のある当帰芍薬散、当帰四逆加呉茱萸生姜湯、温経湯などを。

乳汁うっ滞、乳腺炎

乳汁分泌不全により乳房が張り、肩がこるような症例や乳腺炎の初期には葛根湯が効果がありますが赤ちゃんを興奮させる麻黄(エフェドリン)を含むため漫然と使うのは控えましょう。

産後うつ、マタニティーブルー

産褥期のトラブルは分娩時の出血や体力消耗による気血両虚に子宮内へ悪露が滞るために起こる瘀血を伴っていると考えられます。芎帰調血飲は“産後一切の諸病”に効果があるとされており、実際子宮収縮を促したり、抑うつ感、不安感をやわらげ、乳汁の分泌を正常化する効果があります。その他半夏厚朴湯、女神散などを用います。

わたしも専門的に漢方医学を学んだわけではありませんし、また今回記載した漢方薬をすべて処方して効果を確かめたわけではありません。いくつかの文献をあたって代表的な処方をあげてみました。ここにあげた以外にも多くの処方があります。みなさんも一度主治医の先生に相談したらいかがでしょう。